2012年2月21日火曜日

バフィーカニ¿トン

PUFFY - Wikipedia

PUFFY(パフィー)は、大貫亜美、吉村由美の2人から成る日本の女性歌手グループである。ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)、Ki/oon Records所属。中国語表記は"帕妃"、アメリカ合衆国やカナダにおいては"Puffy AmiYumi"(パフィー・アミユミ)名義で活動している。「パフィー声」と称される二人の声が渾然一体となった独特のユニゾン唱法を用いるのが特徴。幅広いライブ活動やテレビ・CM出演など、日本で最も親しまれているポップ・ロックグループの一つである。アニメキャラクターとしても世界各国で知られている。

1994年、SMAに所属する大貫亜美と吉村由美が出会い、95年にユニットを結成。同事務所の奥田民生プロデュースの下、96年5月にCDデビュー。デビューから4連続でミリオンヒットを飛ばし大ブレーク。96年は日本の音楽史上最高の売り上げがあった年であり、その年の新人アーティストで最高の売上を記録。二人のキャラクターと音楽性はデビュー当時から異彩を放ち、他のアジア各国でも人気を得、2002年には北米でもCDデビューしツアーを行う。2004年、二人をモデルにしたアニメ番組『Hi Hi Puffy AmiYumi』が全米でスタートし、現在まで、世界110カ国以上で放映されている。しかし活動拠点はあくまで日本であり、毎年全国ツアーを回り、国内外問わず多くのイベントやフェスに参加するなど、積極的なライブ活動を行っている。

[編集] デビュー前夜('94~'95)

東京都出身の大貫亜美は、高校在学中に結成したバンドのデモテープを、「落選通知を受け取るために」 ソニー主催オーディションに送った。結果は意外にも合格であったが、メンバー全員乗り気でなかったため解散。志望職種であったCAを目指して進学したが、彼女の声質に魅力を感じたソニーのスタッフに説得され、外語専門学校に通うかたわら歌唱指導を受けるなど、ソロ歌手としてデビューの準備を進めていた。

同じ頃、大阪府出身の吉村由美は高校を中退してアルバイトを転々とする、フリーターの生活を送っていたが、彼女の優れた容貌を惜しんだ知人によって(賞金目当てであったとしばしば発言している)、ソニー主催のオーディションに応募させられ、亜美同様、意外にも合格した。どのような芸能活動を行いたいか、というソニー側の質問に何となく「歌手」と答えた由美は、SMA所属のアーティストとして上京し、ボイストレーニングなどを受けた。

94年、事務所で初めて対面した亜美と由美は、双方の内気な性格から当初は打ち解けず、年長の亜美に由美が敬語で対応する関係がしばらく続いた。しかし、思いもよらぬ芸能界入りという同じような境遇にあった二人は、徐々に友情を深め、由美が亜美の実家に出入りするまでに親密な関係となった。ソロデビューに不安を抱えていた亜美は事務所に由美とのデュオを提案し、すでに亜美のソロ音源[1]が録音されていたにも関わらずすんなり受け入れられた。そこで、亜美のアルバム製作に携わっていた同じ事務所に所属する奥田民生がプロデュース業に関心を示していたことから、二人は彼に託されることになった。

その頃、米国のロックバンド、ジェリーフィッシュが来日公演を行っていた。そのドラムスを担当し、優れた作曲家でもあるアンディ・スターマーは、才能を認め合う関係である奥田を通じてSMAと関係があった。SMAのマネージャーにグループ名の案を求められたスターマーは、"The Puffy" を提案し、これが採られた(後にTheは削られた)。その後彼はPUFFYの「ゴッドファザー」と呼ばれる。

[編集] デビュー直後('96~'97)

結成翌年の1996年5月13日、プロデュースと作曲を奥田、作詞を井上陽水が担当したシングル『アジアの純真』でメジャーデビューし、自身の出演するCMとともに話題となった。 ELOに影響された曲調とナンセンスな歌詞を持つこの曲は、何より気さくなユーモアを備えており、それをジーンズにTシャツ姿のパフィーが「自然体」「脱力系」等と評された、力みのないパフォーマンスで表現した。偶然が重なった企画的なユニットであったが、かえって気負いのない二人のキャラクターが、当時全盛であった小室ファミリーとは一線を画す存在として世間に受け、デビュー作にしてミリオンヒットとなった。デビュー後にはPV撮影の為に渡米し、アメリカ大陸を2週間かけて横断した(この模様は『これが私の生きる道』のPVおよびビデオ・フォトブック『RUN!PUFFY!RUN!』に収められている)。[2]その後もアルバム『amiyumi』、 2ndシングル『これが私の生きる道』 と相次いで奥田プロデュースの作品を発表し、この曲は翌春の選抜高等学校野球大会の入場曲に使用された。その年の音楽新人賞を、新人としてはPUFFYと人気を二分していたSPEEDとの一騎討ちがあったにもかかわらず、総なめにした。


DR誰の写真

PUFFYのスタイルは、当時の風潮である緊張感や露骨な向上心の対極に位置する物であり、打ち込みサウンドが主流となっていた音楽シーンにおいて'60~'70年代ロックやモノラルサウンドが逆に新鮮さを与え、多くの支持を受けたのである。また、プロデューサーの奥田をはじめ豪華な作家陣、有名コレオグラファーの南流石による振り付け、カジュアルではあるが身につけていたジーンズやベルトなどは高価なものと、過剰となりがちな要素をバランス良く消化して自分のスタイルにするセンスが受け入れられ、音楽界のみならず各方面に取り上げられた。さらに二人のユニークで自由なキャラクターをテレビ業界は放っておかず、1997年10月に初の冠番組である『パパパパパフィー』が放送開始された。この番組は、デビュー直後のHEY!HEY! HEY!MUSIC CHAMP出演時に、内気な性格と経験不足から何も喋ることができない二人に対し、「その様なことでは、もし冠番組を持ったときにどうするのか」として、司会の予行演習を行わせようとした松本人志が発した架空のTV番組のタイトルを、そのまま採用して生まれたものであった。また、2010年に千原ジュニアが戦場カメラマン渡部陽一を初めて見た際に「初めてPUFFYを見た時と同じ感覚で、この人引っ張りだこになるやろな」と感じたと引き合いに出している。

[編集] 人気の拡大('98~'01頃)

こうした成功は単なる音楽的成功というより、さらに広範な文化的成功と呼ぶべきものであり、日本のみならず台湾等の東アジア地域にも波及した。特に世間では、安室奈美恵のスタイルを模したアムラーに対し、PUFFYを真似るスタイルをパフィラーと表現した。97年からアジアキャンペーンを行い、98年には台湾で発売したCD全てがゴールドディスクを受賞した。98年、99年にはツアーの一環として香港・台湾でもコンサートを行った(99年は台湾大地震により中止)。シングルCDのジャケット等を担当していた、米国のイラストレーター、ロドニー・アラン・グリーンブラットによるキャラクター商品は人気を博した。ツアーグッズは飛ぶように売れ、本人たちもステージで着用したTシャツは偽物が出回るほど爆発的な人気を得た。この時期 、二人はドラマの撮影やMCを担当していた朝の生番組、パパパパパフィーの収録と、寝る暇がないほど非常に多忙を極めていたが、レコーディングや全国ツアーなど音楽活動も確実に続けていた。冠番組が4年半に渡り毎週放送されたことは、デビュー時のブームで獲得した認知度を定着させる上で重要な役割を果たし、音楽活動と併せて、PUFFYの活動の両輪とも言うべき重要な位置を占めた。しかしこの番組によって、歌手としてのPUFFYの認識が薄れてしまい、現実と世間のイメージに徐々にギャップが生じてしまう事となる[3]

また、PUFFYを直接キャラクター化したものではないが、コナミの音楽ゲーム『pop'n music』のメインキャラクターである『ミミ(ウサギ)』と『ニャミ(ネコ)』は、明らかに亜美・由美2人のキャラ性をモチーフとしている。人気の高さが窺える。

[編集] 北米大陸へ('02~05)

2000年、米国テキサス州で行われたロック・フェスティバル「SXSW」(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。[4]この時は「思い出作り(本人談)」のつもりで気軽にライブを行ったが、現地のアメリカ人にウケが良く、また、同じく日本から出演したナンバーガールやロリータ18号のライブに感銘を受け、二人はライブに対する考え方が変化したという[5]。レギュラー番組が終焉を迎えたのを機に、2002年に初の北米ツアーを行い、『SPIKE』で全米インディーズデビューした。[6]なお、北米で「Puffy AmiYumi」と名乗るのは、パフィーの愛称を持つラッパー、ショーン・コムズから警告を受けての事である。
2003年、米国のカートゥーン・ネットワークのアニメ『Teen Titans』の主題歌を担当した。アメリカのテレビアニメで、日本人がテーマソングを歌うのは異例のことである。また、同局のプロデューサーは二人をモデルにしたアニメの制作をかねてより打診しており、2004年11月、アニメ『Hi Hi Puffy AmiYumi』の全米放送が開始し、それに伴ってアニメの主題歌を含むアルバム『Hi Hi Puffy Amiyumi』で全米メジャーデビューを果たす。他国に概念がなかった"kawaii"という単語が世界に浸透したのは、PUFFYやアニメの登場が少なからず影響している。[7]また、同年公開のアメリカのアニメ実写映画『スクービー・ドゥー2 モンスターパニック』において、 エンディングテーマと劇中挿入歌を担当した。
同時期、国内では『SDガンダムフォース』の主題歌を担当、業界初のガンプラ付きCDを発売[8]した。
2005年、デビュー時から在籍していたEPICレコードからKi/oonレコードへレーベル移籍した。これはSME内の配置転換である。この年の11月、NYで毎年開催される全米最大の感謝祭行事である「Macy's Thanksgiving Day Parade」に、日本人として初めて参加した。


テレビ私はオンラインで見ることができます

[編集] 近年('06~)

2006年にはデビュー10周年を迎えた。米国での活躍を認められ、国土交通省が中心となって推進する『ビジット・ジャパン・キャンペーン』の重点市場国の一つである米国における観光親善大使に任命された[2]。また、同じくアニバーサリーイヤーを迎えるリプトンの紅茶アンバサダーに任命され、東京スカパラダイスオーケストラとのコラボレーションバンドを結成。6月には『パパパパパフィー』の限定復活番組が放送され、7月から1クールで『Hi Hi PUFFY部[3]』が放送された。
2008年、アヴリル・ラヴィーンの東京ドーム公演にゲストとしてライブ出演。
2009年7月、アルバム『Bring it!』をフランスでも発売し、パリで行われたJapan Expoにてライブ出演。
2010年元日、初のオフィシャルファンクラブ期間限定結成が発表された[9]。6月からファンクラブ旗揚げ公演と称して全国ツアーを敢行、香港で11年ぶり、台湾で12年ぶりの公演も果たし、チケットは完売、衰えない人気を示した。また、NYでのイベント出演に合わせて、『honeycreeper』『Bring it!』を全米配信リリース。2011年にはデビュー15周年を迎え、アルバム『Thank You!』の発売と4月からの全国ツアーが発表された。アニバーサリーイヤーをプロモーションすべく、例年より多くのメディア出演をこなす。

プロデューサーである奥田は、PUFFYがアイドルの様に短期間で消費されてしまう事を嫌い、責任ある姿勢で指導に当たった。二人もまた、こうした彼の人間性とミュージシャンとしてのぬきんでた才能を、「先生ちゃん」と呼んで慕った。奥田は、個々のボーカルよりも二人の合わさった声に魅力を感じており、歌い方に関しても『自分のビブラートなしの歌い方を勝手に押し付けたわけですから、二人は大変だったんですよ。二人で真っ直ぐ歌えないと駄目なんで。ごまかしがきかない。日本のいわゆる歌姫と呼ばれる人たちに、PUFFYのようにやれって言ってもできないでしょうね。』と語っている[10]
奥田はPUFFYが特定の指導者に依存することを望まず、1999年のアルバム 『FEVER*FEVER』では、笹路正徳にプロデュースを託し、2003年のアルバム『NICE.』及び2004年のミニアルバム『59』では、アンディ・スターマーがプロデュースに当たった。特に『NICE.』では、彼が全曲を作曲した。
デビュー当初、PUFFYは「企画モノ」で終わるつもりであったため、特に目指すべき方向を持たなかった。その後は人気の下降と共に徐々にアーティスト寄りの方向に進み、『NICE.』で一つの到達点を示したことで"キャラクターから脱出し、シリアスになりかけた[11]"。しかしそれを阻止したのは、アメリカでの『Hi Hi Puffy AmiYumi』の成功であり、自身のポップ・キャラクターとしての魅力を再確認させられ、二人のやりたい音楽も明確になった。また、デビュー当時より様々な楽曲のカバーを行った経験が、ジャンルに括られないバラエティーに富んだ楽曲を器用に歌いこなす、柔軟性が高いPUFFYとしてのスタイルに磨きをかけていった。
『Splurge』以降は、嘗ての様に複数の作曲者から作品の提供を受け、個々にプロデュースを依頼するといった傾向が続いている。曲の提供は、しばしば奥田やアンディも手掛けるが、アルバムには国内外問わず二人が好きなアーティストにリクエストし、椎名林檎や斉藤和義、チバユウスケ、山中さわおなどは複数の楽曲を提供している。これほど多くのアーティストから曲提供を受ける歌手は珍しく、また他者に楽曲提供をすることの少ない個性的なアーティスト達もクレジットに名を連ねるのは、二人のキャラクターの魅力、ジャンルレスに受け入れる寛容さ、柔軟なボーカルセンスの賜物であろう。

作詞面では、デビュー作の井上陽水による歌詞のイメージで語られることが多いが、初期より二人あるいは個人での作詞も行っており、シングルとしては「たららん/パフィーのツアーメン」(1998年)で初めてPUFFYとしてクレジットされた。2006年に発表した9thアルバム『Splurge』では、ロッキング・オン編集者である兵庫慎司の全曲解説[12]が寄せられ、二人の作詞家ぶりを絶賛している。しかし本人達としては、作詞へのこだわりは一切無く、あわよくば詞曲で提供してもらいたいらしい。全編英語詞のシングルも数曲リリースしている。


どのように私は自分自身のテレビ番組を取得するには

[編集] エピソード

  • デビュー前からCM撮影やラジオ番組、ミュージック・ビデオ出演(同事務所の先輩である真心ブラザーズの『サマーヌード』)、アルバム制作を行うなど[13]、非常に多忙を極めていたため、デビューしても実感がなかったと語っている。またデビュー後3年間は多忙のため記憶が薄いらしい。
  • デビュー年、NHKからNHK紅白歌合戦への出演オファーがあったが、TVKテレビ「ゆく年くる年LIVE DI:GA SPECIAL」への出演が先に決定していたため、辞退した。ローカル局のために紅白の出演を蹴ったことで「天下のNHKが地方テレビ局に負けた」と報道された。なお、この時は由美が出演直前に自転車事故で左脛骨骨頭剥離骨折による全治6週間の怪我を負ってしまったため、テレビへの出演は不可能となり、番組には亜美のみが出演している。
  • 2002年7月にPUFFYが北米ツアーを行った際、コンサートに足を運んだゴズネル監督(『スクービードゥー』の監督)がほれ込み、次回作の出演を依頼。ところが、当時亜美が妊娠中だったため出演は実現せず、歌の参加となった。海外の映画で日本語吹き替え版だけに日本のアーティストが楽曲提供することはあるが、世界で共通に使用されるのは異例であった。63カ国で公開。
  • カートゥーンネットワークのプロデューサーであるサム・レジスターは、2000年の「ブギウギ No.5」のPVを見て目が釘付けになり、その後NYでカーラジオから同曲が流れてきた際にPUFFYという言葉を聞き取ってSONYに連絡を取り、アニメ主題歌やアニメ化の打診を行ったと語った。[14]
  • 二人は今まで喧嘩をしたことがないが、初めて会った時の印象をお互いに「感じが悪かった」「合わないと思った」と言い合い、もっと若い頃に出会っていればこれほど仲良くなることはなかっただろうと語っている[15]。仲良くなったきっかけは「しゃぶしゃぶ事件」[16]と「毒舌」であり、二人をよく知るはしのえみは、「猛毒の持ち主」と表現した[17]また、抜群の相性を持つ二人が組んだことを含め、二人の持つ運や才能、出会いを南流石は「奇跡のテンコ盛り」と称えた。[18]

[編集] サポートメンバー

レコーディングには楽曲ごとに多くの名うてのミュージシャンが参加しており、提供者やそのバンドメンバーが演奏することもよくある。2011年に発表した『Thank You!』では、ライブのバンドメンバーで全楽曲を演奏している。ライブはほぼ固定されたバンドで行い、TV出演やツアーでメンバーが替わることがあるが、リズム隊はデビュー当時からほぼ変わらない。


  • ドラムス
    • 古田たかし(ex.Dr.StrangeLove、初期バンマス、1997年 - )
      PUFFYの師匠である奥田民生のサポートも行っており、それ以前にはユニコーンの川西幸一が脱退した後にも共にツアーを回ったことがある。また、古田がPUFFYのサポートに回れない時に川西が入るようになった。
    • 松川恒二(1997年)
    • ナカジマノブ(ex.ドミンゴス、テレビ出演時、2003年 - )
    • 川西幸一(ユニコーン、2007年 - )
      以前には、1996年の事務所の年末イベントで「アジアのボイン」(「アジアの純真」+「ヒゲとボイン」)などをサポートしたことがあった。
    • 小林雅之(ジュンスカイウォーカーズ、テレビ出演時、2000年 - )
    • 山田雅人(ex.シュノーケル、テレビ出演時、2008年 - )
    • Pすけ(平尾 雄祐|cembalo、2009年)
  • ベース
  • ギター
  • キーボード
    • Gee 2wo(1998年)
    • 藤本純一(1998年 - )
    • 斉藤有太(1997年 - )
    • 伊東ミキオ(2006年 - )
    • 鈴木秋則(テレビ出演時、2007年 - )
    • 渡辺シュンスケ(副バンマス、2006年 - )

[編集] シングル

[編集] オリジナルシングル

[編集] コラボシングル

[編集] アルバム

[編集] オリジナルアルバム

  1. amiyumi(1996年7月22日)
  2. JET CD(1998年4月1日)(ミリオンヒット、台湾、香港でも発売)
  3. FEVER*FEVER(1999年6月23日)(台湾、香港でも発売)
  4. SPIKE(2000年10月12日、2002年5月にアメリカでインディーズレーベルで発売)
  5. THE HIT PARADE (2002年2月20日 カバーアルバム)
  6. NICE. (2003年1月22日 アメリカ、カナダでも発売。但し収録曲が若干異なる。ジャケットも日本盤とは異なり、ジョンとヨーコの平和のベッド・インを模したもの。)
  7. 59(2004年3月31日)
  8. Hi Hi Puffy AmiYumi(2005年5月11日、2004年11月に全米で先行発売)
  9. Splurge(2006年6月28日 デビュー10周年記念アルバム)
  10. honeycreeper(2007年9月26日、2010年全米配信リリース)
  11. Bring it!(2009年6月17日、7月2日にはフランスでも発売、2010年全米配信リリース)
  12. Thank You!(2011年3月9日)

[編集] ベストアルバム

  1. The Very Best of Puffy / amiyumi jet fever(2000年7月5日)
  2. An Illustrated History (2002年5月21日、北米圏のみで発売)
  3. Hit&Fun(2007年2月14日、韓国、台湾、香港、マレーシア、シンガポールでも発売)
  4. PUFFY AMIYUMI × PUFFY(2009年3月25日)
  5. 15(2011年11月23日)

[編集] 企画アルバム

  1. solosolo(大貫亜美吉村由美名義、1997年8月6日)
  2. リミックスアルバム『PRMX』(1999年12月31日、アナログ盤も発売)
  3. リミックスアルバム『PRMX TURBO』(2003年9月18日)
  4. トリビュートアルバム『MARCHING PUFFY[19]』(2003年11月26日)
  5. サウンドトラック『Hi Hi Puffy AmiYumi Music From The Series』(2004年11月16日、全米メジャーデビューアルバム)

[編集] カバー作品

[編集] VHS・DVD

  1. 「RUN!PUFFY!RUN!」(VHS-1996/12/01、DVD-2000/10/12)
  2. 「TOUR!PUFFY!TOUR!」(VHS-1997/09/21、DVD-2000/10/12)
  3. 「JET VIDEO」(VHS-1998/06/10、DVD-2000/10/12)
  4. 「JET TOUR EXTRA」(VHS-1999/01/21、DVD-2000/10/12)
  5. 「FEVER FEVER VIDEO」(VHS-1999/12/18、DVD-200010/12)
  6. 「CLIPS」(DVD-2000/07/05)
  7. 「スパイク大作戦」(VHS、DVD-2001/04/25)
  8. 「Rolling Debut Revue CANADA USA Tour 2002」(VHS、DVD-2002/12/18)
  9. 「FUNCLIPS FUNCLUB」(DVD-2005/05/11)
  10. 「TOUR!PUFFY!TOUR!10 FINAL at日比谷野外音楽堂」(DVD-2006/12/20)

[編集] 国内外での活動

[編集] 過去の出演番組・映画

[編集] 88">コンサート・イベント

  • 1996年 「Hit&Run2000GTR」(亜美のみ)
  • 1997年 ツアー「RUN! Puffy! RUN! 」(プレ、追加公演含む14公演)
「Hit&Run2000GTR-S」(3公演、亜美はボーボーズ、由美はワイキキチャンピオンズで出演)
  • 1998年 ツアー「JET TOUR 98」(自身初の日本武道館を含む国内31公演、アジア3公演)
「Hit&Run2000GTR-W」(5公演、HELL番地の夜死村、南無亜美で出演)
「燃えよドラゴンへの海の中道」「燃えよドラゴンへの沖縄」「フフフフ富士山」
  • 1999年 クラブツアー「クラブサーキット'99」(国内5公演)
ホールツアー「FEVER*FEVER」(国内25公演)
「8いちだよ!全員集合」「8よんだよ!全員集合」「8ごだよ!こっちへ全員移動」「フフフフ富士山2」「ROCKING GREEN KOIWAI」
「Hit&Run2000GTR-F」(8公演)
  • 2000年 ツアー「スパイク大作戦、特別編」(国内28公演)
「SXSW2000」で初のアメリカ公演
  • 2001年 ツアー「2001年途中の旅」(国内21公演)
  • 2002年 ツアー「Mad Dogs & Runaway Cats Rolling Cover Revue」(国内11公演)
USツアー「Rolling Debut Revue CANADA USA Tour 2002」で初の北米単独ツアー(12公演)
「SUMMER SONIC 2002」
「Sony Music Fes.2004」「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2004」「SETSTOCK 2004」
  • 2005年 USツアー「Hi! Hi! Puffy AmiYumi ROCK SHOW *** GO WEST!!」(アメリカ7公演)
国内ツアー「Hi! Hi! Puffy AmiYumi ROCK SHOW *** GO FAR EAST!!」(国内7公演)
USツアー「Hi! Hi! Puffy AmiYumi ROCK SHOW *** GO EAST!!」(アメリカ5公演)
「SUMMER SONIC 2005」「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」「SMA バリ3カーニバル」
  • 2006年 国内ツアー「TOUR! PUFFY! TOUR! 10」(国内13公演)、「LIVE Splurge 2006」
USツアー「Puffy AmiYumi Tour '06 Splurge! 」(アメリカ7公演)
「ROCKIN'ON PRESENTS JAPAN CIRCUIT -vol.38-」「PUFFY IN 奈良東大寺」「SUMMER SONIC 2006」「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2006」「HIGHER GROUND 2006」「COUNTDOWN JAPAN 06/07」
  • 2007年 ツアー「Hits & Fans」(国内3公演)
ツアー「PUFFY TOUR 2007 honeysweeper」(カナダ1公演、アメリカ4公演、国内7公演)
@ZEPP LEAGUE「奥田民生 vs PUFFY」「ROCK IN JAPAN FES 2007」「Hit&Runちゃん祭り2007~ワカすバンド天国」
  • 2008年 ツアー「All Because Of Live 2008」(国内3公演)
「GREEN POWER LIVE 2008」「星野楽器100周年イベント『百年の鼓動』」「ROCK IN JAPAN FES 2008」「COUNT DOWN JAPAN 08/09」
  • 2009年 ツアー「Bring it!」(国内7公演)
「SOUND SHOOTER#04」「MTV SING OUT「歌おうぜ!」supported by PEPSI NEX」「ROCK IN JAPAN FES 2009」「SUMMER SONIC 2009」「川西幸一 50歳記念 チョットオンチー栄光の50年(4公演)」「COUNT DOWN JAPAN 09/10」
  • 2010年 劇団アセス旗揚げ公演「カニとともに去りぬ」(国内9公演、香港、台湾)
「ROCK IN JAPAN FES 2010」「RISIN SUN ROC FESTIVAL 2010」「ap bank fes 2010」「フジフジフジQ」「JUNK!JUNK!JUNK!2010」「岩船山クリフステージ#10」「Far East To East Showcase in NY」「ベストヒット☆SMA」「COUNT DOWN JAPAN 10/11」
  • 2011年 ツアー「Time for ACTION」(国内12公演)
「ROCK IN JAPAN FES 2011」

[編集] CM

[編集] 受賞歴

[編集] その他

[編集] 書籍

[編集] ゲーム

[編集] CD-ROM

 (缶入りTシャツ+CD-ROM、1997年)


  1. ^ 後に由美のソロも作られ、大貫亜美吉村由美名義のアルバム『solosolo』 として発表された
  2. ^ 帰国後、日本でPUFFYブームが起こっていることを知らず街に出かけ、知らない人々に声を掛けられたり追いかけられたりして戸惑ったと語っている。
  3. ^ その頃の楽曲の歌詞も、仕事に対する心情が表れている。
  4. ^ これは、有望な新人を売り込むショーケース・ギグに類する催しであり、ソニーが擁する日本人アーティストの米国進出のテスト・ケースとして、「本場」のアーティストには見られない個性を持ち、競合を避けられるPUFFYやPOLYSICSらが送り込まれたのである。前年にソニー所属アーティストのサンプル盤を米国ソニーに配布し、その際にPUFFYを含めたいくつかのアーティストが好評であったというリサーチを受けてのことである。
  5. ^ 「あゆみ(2006年)」インタビューより
  6. ^ SMEのGMは、かつての日本のアーティストが何度も憂き目に会ってきた全米デビューに際し、PUFFYのプロモーションにはマスメディアを使うのではなく、北米14都市をバスで移動する過酷で地道なライブ活動を課した。ライブステージは日本のそれと同じ、歌詞もほとんど日本語で海外のスタイルに迎合する要素が皆無の姿勢が逆に好感を与え、二人のルックスや楽しそうなパフォーマンス、ジャンルレスな音楽が人気を集めた。その結果、ソニーの現地レーベルとカナダのBar/None Recordsから、『SPIKE』の現地版と、ベスト盤である『An Illustrated History Of Puffy AmiYumi』(国内未発表)を発売し、米カレッジチャートにランクインした。
  7. ^ この番組は低年齢層から高い支持を得て、CN開局以来の高視聴率を記録した。二人はインタビューにおいて、このアニメのファンの子供を持つ世界的ミュージシャン達(シンディ・ローパーやグリーン・デイなど)が自分たちを知っていたことに驚いたと語っている。
  8. ^ SDガンダムフォース主題歌
  9. ^ PUFFY オフィシャルファンクラブ 『劇団アセス』
  10. ^ 2007年10月4日 日経新聞
  11. ^ 渋谷陽一ライナーノーツより
  12. ^ PUFFY『Splurge』全曲解説(兵庫慎司)
  13. ^ フジテレビ『MUSIC CLAMP』内の『FACTORY』のコーナーMCの予定もあった[1]
  14. ^ 「英語でしゃべらナイト」(2006年)
  15. ^ 「浜ちゃんと」(2004年)吉村由美の出演時
  16. ^ 「魁!音楽番付」(2010年)など。
  17. ^ 「Music Lovers」(2007年)出演時。
  18. ^ 「A-Studio」(2010年)
  19. ^ スペイン語版Wikipedia「es:Marching_Puffy」
  20. ^ 2010年現在

[編集] 関連項目

[編集]

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