去る2011年1月に韓国・青松郡で開催されたアイスクライミングW杯につきましては、参加された日本人選手・関係者のサイトで断片的な情報が流れていますが、韓国の月刊「山」2月号が総括的な記事を掲載しました。月刊「山」誌の記事が韓国関係者全ての総意とは思いませんが、やはりアジア初のアイスW杯開催として、地元韓国の方々の視点からの大会記事も欠かせないでしょう。
[話題]青松ワールドカップ氷壁大会 by 月刊「山」2011年2月号
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[話題]青松ワールドカップ氷壁大会
「ダヴァイ! ヴェンガ! がんば! 」青松に響いた各国語の「ファイティン」(訳者注・韓国語で頑張れの意)
25ヶ国、119人参加…パク・フィヨン、シン・ユンソンが並んで準優勝おさめる
世界のクライマーにとって最高の冬祭り、アイスクライミング ワールドカップが1月8,9日青松で開かれた。 非ヨーロッパ圏域、それもアジアでアイスクライミング ワールドカップが開催されることは今回が初めて。 従来、アイスクライミング大会はヨーロッパ、イタリア・ティオネ、スイス・ザースフェー、ルーマニア・ブシュテニ、ロシア・キーロフなどで開催されてきた。そのため、今大会を誘致、開催した韓国山岳界の感激は格別だった。 身を切る猛烈な寒気が吹き荒れたが、主催の大韓山岳連盟関係者はもちろん、全国各地で多くのクライマーが二日間かけて観戦、大会の熱気が続いた。
UIAA(国際山岳連盟)公認アイスクライミング ワールドカップ大会は毎年3~5回シリーズに開かれる。 青松大会はこのワールドカップ大会シリーズの2011年初めの大会として、選手たちは青松大会を含む各大会の順位を総合、ランキング何位かを決定する。
▲アイスクライミング帝王マルクス・ベントレーが安定したフィギュア4スタイルでアイスキャンディ区間を登る。マルクスが優勝、アジア最強のパク・フィヨンが2位を占めた。
大会は慶北(キョンブク)道、青松郡(チョンソングン)府東面(プドンミョン)来竜里、夏も寒く水が凍ると噂になった青松氷谷に建造された高さ22mの半円形鉄骨人工ルートが設けられた。自然状態と最大限似るように、水をかけて作られた人工氷壁、凹凸を持った岩壁突出部を設営、ルート長約20mの競技ルートがセッティングされた。
アイスクライミング大会といえば氷壁を登る大会と思われるが、国際大会の場合、氷壁区間はきわめて一部であり、ほとんどドライツーリング大会に近い。ドライツーリングとは、氷壁登攀装備で氷がない岩壁や人工壁を登ることをいう。 人工構造物でルートを作って選手たちが登るようにしたのだ。 これは純粋な氷だけで登攀ルートを作るのには限界があり勝敗を決めづらい一方、天気に影響をあまり受けない安定した競技運営と水準の高いルートを任意に作りだし、選手たちの優れた技量を引き出すためだ。
選手たちの世界ランキングはワールドカップ シリーズ成績をポイントで合算して付ける。我が国のパク・フィヨン(ノースペース クライミングチーム)とシン・ユンソン(ノースペース クライミングチーム)選手が男女部で各々1~2位を争うほど登攀能力を鍛えてきた。 大会は難易度(リード)と速度(スピード)部門に分かれるが、我が国ではリードに重点を置くことが一般的だ。 スピード競技はどうしても東洋人の体格では腕と脚が長い西洋人との対決は不利で、リード競技が真の登攀能力を競う真剣勝負の場だと考えられているためだ。
零下14度、肉を切るような冷たい風が吹く渓谷で、25ヶ国90人の選手たちは7日夕方、青松君民会館で韓国側が主催した晩餐会と民俗公演観覧に続き、8日は予選競技が始まった。 関心を集めた登攀ルートは、イタリアから来た国際アイスクライミング公式ルートセッターらが、国内大会運営スタッフらの助けを受けて作った。
▲スイスのフェラー・フェリシタス選手が下段アイスキャンディ区間を突破、渓谷の冷たい風の中で中段を越える。
ロシア選手たちがスピード部門を一気に制覇
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