2012年5月31日木曜日

月山で2時間もたない男とはつきあうな!: 2011年2月


 去る2011年1月に韓国・青松郡で開催されたアイスクライミングW杯につきましては、参加された日本人選手・関係者のサイトで断片的な情報が流れていますが、韓国の月刊「山」2月号が総括的な記事を掲載しました。月刊「山」誌の記事が韓国関係者全ての総意とは思いませんが、やはりアジア初のアイスW杯開催として、地元韓国の方々の視点からの大会記事も欠かせないでしょう。

[話題]青松ワールドカップ氷壁大会 by 月刊「山」2011年2月号

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[話題]青松ワールドカップ氷壁大会
「ダヴァイ! ヴェンガ! がんば! 」青松に響いた各国語の「ファイティン」(訳者注・韓国語で頑張れの意)
25ヶ国、119人参加…パク・フィヨン、シン・ユンソンが並んで準優勝おさめる

 世界のクライマーにとって最高の冬祭り、アイスクライミング ワールドカップが1月8,9日青松で開かれた。 非ヨーロッパ圏域、それもアジアでアイスクライミング ワールドカップが開催されることは今回が初めて。 従来、アイスクライミング大会はヨーロッパ、イタリア・ティオネ、スイス・ザースフェー、ルーマニア・ブシュテニ、ロシア・キーロフなどで開催されてきた。そのため、今大会を誘致、開催した韓国山岳界の感激は格別だった。 身を切る猛烈な寒気が吹き荒れたが、主催の大韓山岳連盟関係者はもちろん、全国各地で多くのクライマーが二日間かけて観戦、大会の熱気が続いた。
 UIAA(国際山岳連盟)公認アイスクライミング ワールドカップ大会は毎年3~5回シリーズに開かれる。 青松大会はこのワールドカップ大会シリーズの2011年初めの大会として、選手たちは青松大会を含む各大会の順位を総合、ランキング何位かを決定する。


▲アイスクライミング帝王マルクス・ベントレーが安定したフィギュア4スタイルでアイスキャンディ区間を登る。マルクスが優勝、アジア最強のパク・フィヨンが2位を占めた。

 大会は慶北(キョンブク)道、青松郡(チョンソングン)府東面(プドンミョン)来竜里、夏も寒く水が凍ると噂になった青松氷谷に建造された高さ22mの半円形鉄骨人工ルートが設けられた。自然状態と最大限似るように、水をかけて作られた人工氷壁、凹凸を持った岩壁突出部を設営、ルート長約20mの競技ルートがセッティングされた。
 アイスクライミング大会といえば氷壁を登る大会と思われるが、国際大会の場合、氷壁区間はきわめて一部であり、ほとんどドライツーリング大会に近い。ドライツーリングとは、氷壁登攀装備で氷がない岩壁や人工壁を登ることをいう。 人工構造物でルートを作って選手たちが登るようにしたのだ。 これは純粋な氷だけで登攀ルートを作るのには限界があり勝敗を決めづらい一方、天気に影響をあまり受けない安定した競技運営と水準の高いルートを任意に作りだし、選手たちの優れた技量を引き出すためだ。
 選手たちの世界ランキングはワールドカップ シリーズ成績をポイントで合算して付ける。我が国のパク・フィヨン(ノースペース クライミングチーム)とシン・ユンソン(ノースペース クライミングチーム)選手が男女部で各々1~2位を争うほど登攀能力を鍛えてきた。 大会は難易度(リード)と速度(スピード)部門に分かれるが、我が国ではリードに重点を置くことが一般的だ。 スピード競技はどうしても東洋人の体格では腕と脚が長い西洋人との対決は不利で、リード競技が真の登攀能力を競う真剣勝負の場だと考えられているためだ。

 零下14度、肉を切るような冷たい風が吹く渓谷で、25ヶ国90人の選手たちは7日夕方、青松君民会館で韓国側が主催した晩餐会と民俗公演観覧に続き、8日は予選競技が始まった。 関心を集めた登攀ルートは、イタリアから来た国際アイスクライミング公式ルートセッターらが、国内大会運営スタッフらの助けを受けて作った。


▲スイスのフェラー・フェリシタス選手が下段アイスキャンディ区間を突破、渓谷の冷たい風の中で中段を越える。

ロシア選手たちがスピード部門を一気に制覇


のアンナニコルスミス太り過ぎの写真

 我が国のクライマー達の関心が低いスピード競技は8日、一日で予選と決勝が全て行われた。構造物の中に設けられた12mの氷壁をどれくらい速く登るか競うことで16強に上がった選手中、11人がロシア選手でロシア勢がその強さを見せた。これは他選手たちが12m壁を20~30秒かかって登るのに対し、8秒前後で登る怪力とスピードを示した。日没後に始まった男性8強トーナメントは、最初から8人全員がロシア選手であった。
 スピードトーナメント競技は左側と右側のルートを二人の選手が登り、氷壁の終了点にあるセンサーボールを先に打った者が勝つ競技だ。氷が溶けて凍ることを繰り返すため、両側の壁の難易度が全く同じにならない。そのため、両側を各々一回ずつ登った後、時間を合計して勝者を決定する。しかし勝敗を分けるセンサーボールが故障、誤作動で再競技が行われるなど、一部の選手たちは体力的に激しい消耗戦を繰り広げなければならなかった。
 大会運営関係者の話によれば「バイルで打った時にボールが大きく動けば作動するはずなのに作動しなかった。」と言う。誤作動のため大会の「玉のキズ」にされたセンサーは、清渓川(チョンゲチョン)の設備店で低価格で作ったものという。
 初日最後の競技、男性部門決勝はロシア選手同士の対決だった。 バトゥセブ・パベル選手が最初のトライで中間で墜落し競技を放棄、トミーロフ・マキシム選手が優勝した。 女性スピード部門3位、リード競技で優勝したロシアのマリア・トロコニナ選手にロシア勢の強さについて秘訣をたずねると「強い精神力と選手たちの団結力」と即答した。 あるロシア男性選手は「私が住む所の寒さに比べれば、そんなに寒くはない」と言い、寒さに対する耐性が良い成績を出すことができた要因の一つに挙げた。

 翌9日は、アイスクライミングの世界水準をそのまま見せた興味深い競技の連続だった。 競技方式はオンサイト リーディング。オンサイトとは、'初見で登ること'で、ルートを選手たちに公開せず、競技直前に公開し、すぐ登攀する方式をいう。 リーディングはリードというが、主催者側が事前に安全のために中間支点に設置しておいたクィックドローにロープを通過させて登攀することをいう。 大会規定のとおり男性準決勝、決勝、女性準決勝、決勝はすべて異なったルートで進められた。 午前の準決勝が終わった選手たちも選手控室の外を出ることはできず、昼休みを利用して決勝のルートセッティングが行われた。


▲ 1.ワールドカップ競技を見守る観衆と大会テント/2.スピード速度競技が開催された構造物中の氷壁。両側壁を登って時間を合計する。/3.フランスのステファニー・モーロー選手がフィギュア4スタイルで身体を引き寄せアイスキャンディを登る。

 最もよく設計されたルートは、決勝で完登者が1人出てくるルートとよく言われる。 あまりに難しくて完登者がいない場合、観衆らにとっては観戦する面白味がなく、とても簡単で完登者が多ければ勝負を決定するのが複雑になるためだ。 朝から開催されたリード男女準決勝ルートは、各々傾斜90度以上のオーバーハングで始まりオーバーハングで終わる難コースであった。 鉄骨構造物を柱として合板を連結し、ホールドを設置して選手たちがアイスパイルで登れるようにした。 今回の大会のホールドは青松・周王山(チュワンサン)の岩を加工して作って'青松大会'の意味を強調している。競技ルート構造物を作るのに2億ウォン程の経費がかかったという。
 ルート各所には「トライアングル」と呼ばれる三角形に飛び出した構造物と、「アイスキャンディ」と呼ばれる細長いキャンディ形状に丸太を凍らせた構造物を配置、変化を与えた。 選手たちには障害物だが、観戦する人々には感心をかもし出すようにする区間だ。 こういう区間を通過するためには「フィギュア4」という手と足をより合わせた動作が不可欠で、優れた筋力と柔軟性なしでは不可能な動作のため、見る面白味を倍増させる。フィギュア4はそのスタイルが「4」の字に似ていることからできた用語だ。
 
 予選競技の結果、男性19人、女性18人が準決勝に進んで技量を競った。 世界水準の選手たちらしく、優れた技術と体力が発揮された。選手たちの動作一つ一つに観衆らは喜び、墜落する時は惜しんだ。 観衆の中でもクライマー達は「やはり世界的なレベルだ」という反応であったし、このような競技を初めて見る青松の住民たちは「なんで人間があんな風に登ることが出来るのか」と驚いた反応を示していた。
 今回の対戦には氷壁登攀の経験がないモンゴル選手たちが参加して注目された。彼らは登攀装備を借りて登攀を試みる情熱を見せた。 しかし参加選手の一部が離脱、行方不明になって大会関係者たちを困惑させた。
 
 国内で開催された競技らしく、最も大きい歓声を引き出したのは我が国の選手たちだった。 男女最強のパク・フィヨン、シン・ユンソンは身体が固いのではと思われるほど慎重な競技展開をした。 ささいな失敗もしないというように、2選手は普段のレベルに比べて慎重に慎重を期するクライミングを続け、パク・フィヨンは決勝進出8人中4位、シン・ユンソンは5位を記録した。 世界ランキング1位のマルクス・ベントレーは予選2位、準決勝1位という安定した成績で決勝に進出した。


静電気ショックオンラインエピソード


▲パク・フィヨン選手がアイスパイルに全神経を集中して壁を登る。/イタリアのアンゼリカ・レイノ選手が準決勝で最後のホールドをパイルで引っかけて登る。 完登して1位となり決勝に進出したが、クィックドローを通過する失敗を犯して失格となった。

アジアのダークホース ジョン・ウンファ、チョン・ウォンジュ大躍進

 午後の決勝戦は厳しい寒さをも溶かす火花の対決の場となった。決勝戦には1,000人余りの観衆が集まり選手たちの身振り一つ一つに呼吸を共にした。決勝戦で注目されたのは、パク・フィヨン、シン・ユンソンの他に、韓国選手らの大躍進だった。
 特にワールドカップ出場のチョン・ウォンジュ(ソウル山岳救助隊)選手はヨーロッパ選手に劣らない長い腕、脚をさっと伸ばし素早く登った。上段オーバーハングで構造物の横に越えるホールドを逃し墜落したが、世界的水準の技量としても不足はなく、韓国のアイスクライミング選手層が厚いことをヨーロッパ選手達、UIAA関係者に印象づけた。チョン・ウォンジョ選手は「決勝まですすめたことが個人的に光栄だ。力は残っていたがバランスを崩して墜落したのが悔しい」と感想を述べた。

 女性リード部門では昨年ヨーロッパ・ザースフエーのワールドカップ大会に参加、準優勝の成績を納めてアジアのダークホースに浮上したジョン・ウンファ(雪岳(ソラク)赤十字救助隊)選手の技量が花を咲かせた。ジョン選手は軽い身体と根性ある粘り強い登攀力でクィックドロー14本を通過、優勝に近づいた成績を残した。 ジョン・ウンファ選手は「決勝戦では心残りのない競技ができた。自分はやれる、とずっと自分に暗示をかけながら登った」と感想を述べた。


▲アイスパイルをホールドに正確にかけて強い筋力でアイスキャンディを突破するシン・ユンソン選手. 僅差で準優勝となった。 /ウクライナのバレンティン・シパビン選手がパイルを口でくわえ、クィックドローにロープをかけるためにありったけの力をふりしぼっている。

 関心を集めたシン・ユンソン選手は準決勝の時とは違い、負担を払いのけた軽くて自由な動作を展開した。 中間で墜落しそうになったが、強い筋力で克服、制限時間1分を残した状況で終了点に近い最後のアイスキャンディに進入した。完登も可能な時間だったが、腕の力が抜けたようにクィックドローにロープをかけられず、時間超過で競技を終えた。 競技後シン・ユンソン選手は"最後まで腕力はあったけど、指が凍ってロープをかけることができませんでした。激しい風が吹き抜ける氷谷(オルムゴル)だと競技が大変です。」とコメントした。 その一方、「完登できたのに指が凍って完登を逃したのは悔しい」とした。 競技が終わった後、青松アイスクライミング ワールドカップ大会のスポンサーでありシン選手の後援ブランド、ノースフェイスのソン・キハク代表(ゴールウィンコリア)は「私たちの選手の登攀を終始見守り、ハラハラした。最善を尽くした競技でした」とシン選手の競技に対して満足していた。

 女性部門の優勝は、準決勝で完登、決勝に進んでシン・ユンソンよりクィクドロー一本をさらにかけていたロシアのマリア・トロコニナ選手となった。マリア選手は競技後インタビューで「最後の完登直前に腕に力が全て抜けきった。寒くて手に感覚がなく大変だった"と話した。


▲決勝戦最後、クィックドローをかけ、拳を握って観衆らの拍手にう答えるパク・フィヨン選手. 時間超過で完登には失敗した。

パク・フィヨンとマルクス、最強対最強の対決

 男性部門では高水準の薄氷の勝負が続き、身を切る寒さの中でも屈せず観衆らと大会関係者たちにカタルシスを与えた。決選成績表だけみれば5人の選手が18個のクィックドローを通過して近接した成績だが、最後のホールド個数で差を見せた。予想通り「韓国のプライド」パク・フィヨンと「世界最強」マルクス・ベントレーの対決になったのだ。パク・フィヨンは固まったような動きの準決勝と違い、果敢な身振りだった。 他選手たちのムーブに比べ、重量感と安定感が感じられた。優れたバランス感覚でアイスキャンディ区間を簡単に通過、中段の鉄骨構造物に進入、早く突破するかと思われたが、クィックドローをかけるのに苦労して、観衆の心をハラハラさせた。


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 パク・フィヨンは二番目のアイスキャンディを強力な筋力と安定したフィギュア4スタイルで通過、最終オーバーハング壁に近付いた。 最後の区間は王様のシンボルのような、黄金色のダイヤモンド構造物四個がX字に伸び、見るぶんには美しいが実際に登る選手たちにとっては天井に近いオーバーハングを飛び出す構造物を克服し通過しなければならない、苦難の地点である。普段のトレーニング量と精神力が完登の鍵であった。
 落ち着いてこの「王様のシンボル」に進入したパク・フィヨンは強力な筋力でオーバーハングを克服、最後のホールドにパイルをかけた。しかしたった数秒を残して時間終了、すぐ最後のクィックドローにロープをかけるのに失敗してしまった。 競技後パク・ヒヨンは「天候がとても寒くて手が凍って登攀するのにとても大変だった。墜落の危機を観衆らの応援で克服して登った。」「数秒差で完登にならず、とても悔しい。予想以上に難しかった。最高の難度だ。」とクライミングの感想を述べた。

 オーストリアのマルクスはランキング1位、ヨーロッパで今後5年以上は彼の時代になるという評価を受ける名実共に最強クライマーだ。 昨年、彼の連戦連勝を唯一破って優勝したクライマーがパク・フィヨンだ。 男性決選8人の選手中、7人の登攀が終わった後、1位はやはりパク・フィヨン、残ったクライマーはマルクスだった。彼の登攀で優勝者が決定する状況となった。マルクスは背が180cmは優に超え、ぜい肉のない素晴らしい身体に長い腕と脚を見ても、「クライミングのための体格」である。金髪に茶色のウェアを上下で着こなしていたのが印象的だ。

 マルクスの動作は水が流れるように自然な動きで、他の選手たちとホールドを利用する身振りがわずかだが違った。 自分だけの完璧で優雅な、その一方でルートを完登できるように先を読みこむ老練さを持ち合わせていた。ルートをすすむほど弾みをつけるるようだったが、二番目のアイスキャンディに阻まれた。鉄骨構造物に縛られていたキャンディが回りベントレーがバランスを失い、何度もトライを繰り返した。 一度クライミングに行き詰まると、慌てて自ら失敗を招いてしまっていた。
 悪戦苦闘を終え、難コースのアイスキャンディも突破、力が落ちかけたが素晴らしい体力で滑らかに「王様のシンボル」に飛び込んだ。
 彼も筋力が低下したのか、四個のダイヤモンド構造物の中でクライミングの速度が急激に落ちた。腕がパンプしたようで、ずっと腕をはたいて呼吸を整えた。 マルクスは老練さを発揮、最後のホールドをパイルでひっかけたが、パク・フィヨンと同じように完登を意味するクィックドロー通過ができず、彼と同率の結果を成し遂げた。
  しかし準決勝成績によってトップに立ち、2011年ワールドカップ初めての大会でありヨーロッパ圏以外で最初に開かれた青松大会の初代優勝者になった。優勝者マルクス・ベントレーの感想は、

「ラッキーだ。完登を逃したのは残念だが、優勝したと聞かされたときは幸せだった。二番目のアイスキャンディをやりそこなったのが惜しい。序盤は予想通り行ったが、中間区間は思うようにいかず、腹が立った。マインド コントロールをしながら登った。ルートはパーフェクト。決勝戦の難度としては最高だ。」

 結局、リード競技で韓国のパク・フィヨンとシン・ユンソンはいずれも惜しくも2位を占めた。
 ヨーロッパ圏外で初めて開かれた大会であり、大韓山岳連盟とUIAA,青松郡(チョンソングン)、スポンサーのノースペース関係者たちにとって全神経を使った大会であった。 全般的に初めての大会としては成功的という評価だった。 外国の参加選手たちはおおむね主催者側の運営を絶賛した。 ヨーロッパの大会は選手たちが自費で参加するが、韓国大会では空港からのピックアップを含む全ての国内交通経費を提供、5泊6日間の宿も提供した。 一方、男女のスピードおよびリード競技の優勝賞金は韓国ウォンで520万ウォンを越える、3,500ユーロとして、アイスワールドカップ大会史上、最高の金額である。

 アンドレイ・ペチャク審判委員長は「青松ワールドカップは今後も継続されるだろうと見ている」と期待を込めて語った。ノースフェイスの ソン・キハク会長はこのような期待に応える返事をするように「今後4年間、青松ワールドカップ大会を後援する」と明言、青松大会はUIAAと大韓山岳連盟、青松郡(チョンソングン)、ノースフェイス支援のもと、毎年韓国の冬を彩るものとみられる。
 
 大韓山岳連盟と慶北(キョンブク)山岳連盟、青松郡(チョンソングン)関係者たちは、国内初のワールドカップ大会として、隙の無い進行でUIAA関係者と観衆、選手たちに好評を受けた。 競技進行と世界的な登攀能力、ルート セッティング、観衆参加など全ての要素が重なり、迫力感あふれるアイスクライミング対決の場だった。 初めから最後まで大会場をほとんど離れないで見守った大韓山岳連盟、イ・インジョン会長は「小さい失敗はあったが、全体的には円滑で効率的な大会進行で、ヨーロッパのクライマーらを感心させた。度重なるほど、より一層立派な大会として発展するだろう」とコメントした。



▲ 1.大会関係者たち.左側からチョン・サンウク ノースフェイス常務、ハン・ドンス青松郡郡長、キム・ジェボン大韓山岳連盟専務、アンドレイ・ペチャク審判委員長、ペ・キョンミUIAAアジア代表、ソン・キハク ゴールウィンコリア会長、イ・インジョン大韓山岳連盟会長、パヴェル・シャバリン アイスクライミング委員長/.2.女性リード部門授賞式.左側からシン・ユンソン、マリア・トロコニナ、ルーシー・ホルジョバ、ジョンウンファ選手。3.22m高さの半円形鉄骨構造物で作った競技場.

"とても高い水準の大会であった"

 アンドレイ・ペチャク氏は今回の大会審判委員長で大会運営の総括責任者だ。チョン・ホジン大韓山岳連盟副会長はUIAAアイスクライミング委員として今大会誘致に格別に尽力し、国際山岳連盟と大韓山岳連盟の架け橋の役割をした。 チョン副会長は「アジアで最初に開かれた大会としてUIAAでも期待が大きい。期待に見合う大会を行うことができて幸運」と現地の雰囲気を伝えた。
 ヨーロッパから来た関係者は「このように大会が組織的に巧く開催されるとは思わなかった」と語り、競技場施設、観衆の盛り上がり、マスコミの反応、競技運営が初めての大会としては、模範的な大会と評価されるに至った。 またアジアの国々が参加者を増やし、冬季オリンピックでアイスクライミングが正式種目にのぼることができる新しいステップの契機になったと話した。

 ペチャク審判委員長は青松大会を一言で「とても高水準の大会」と評した。 主催側の積極的な協力の中に、すべての人々が大会が成功裏に行われるよう活動したのがその原動力だと評価した。 一方、大会運営のささいな失敗はどんな大会にもある問題と話した。

ワールドカップの人▲ノースフェイス ソン・キハク会長
彼らを愛さずにはいられない

 今回の青松ワールドカップ大会は色々な登山家らの先入観が打ち壊された大会だった。
選手ではない、ノースフェイスのソン・キハク(63)会長に対する先入観だ。 ソン会長は大会開幕式から決勝まで、3日間休み無く姿を現わしただけでなく、最後の決勝戦が始まってから終るまで、ずっと観覧席で見守った。 特にノースフェイス所属のパク・フィヨンやシン・ユンソンが登攀する時はVIPルームを出て、冷たい風が吹きすさぶ氷壁直下で観戦、応援した。 このような思いがけない姿にソン会長はクライマー、一般人の「ただノースフェイスブランドの広報という目的でクライマーを後援している」という偏った先入観を破った。
 現在のノースフェイス所属クライマーは何と27人に達する。 恐らく国内では最も多いクライマーを後援するブランドであろう。 ソン会長は真に自社所属のクライマーらを愛していることを気兼ねなく明らかにする。

「ベストを尽くす姿は、とても感心します。 1等だろうが2等だろうが、私たちの選手が誇らしく愛しいんです。」

 ソン会長はソウル大学 貿易学科に在学中、山岳部に所属していた。 雪岳山西北稜登攀、冬季智異山(チリサン)縦走などの経験を回顧するソン会長の表情は、その瞬間青年のようになる。 その時抱いた「山屋」としての夢を。若いノースフェイスのクライマーらに投影しているということだろうか。

「もちろんノースフェイスの広報効果もありますよ。しかしそれはそんなにすごいことではありません。それよりは…。」

 ソン会長は優勝候補者パク・フィヨンの登攀が始まると、すぐに話をさえぎって素早く双眼鏡を構えた。

「私はあの若者たちの精神を愛します。彼らをいつも近くで見ている人なら、彼らを愛さずにはいられないでしょう?。」
 ソン会長の姿勢が代弁してた。

男性リード部門優勝者 マルクス、ベンドレー(26)一問一答

"世界1位を守るという心がけが登攀能力の秘訣"

○主要登攀経歴は?
「11才でクライミングを始めた。15才まではロッククライミングを主に行い、8c級を登攀した。16才に初めてアイスを始め、翌年にアイスのコンペに出場、自分でも驚いたが世界選手権大会で7位になった。この時からアイスに没頭した。」

○自分だけの訓練方法は?
「ない。時間があればクライミングするのがトレーニングだ。夏には人工岩を設置する仕事をこなして、時折は岩場を探す。秋にはドライツーリングをしている。水が凍る時期になれば、アイスクライミングをする。さらに詳しいことは、秘密だ。」

○最も記憶に残る登攀は?
「登攀パートナーであり友人であったHari Bergerが死ぬのを見た時だ。オーバーハングした氷壁を登っていたが、途方もない天井が崩れた。崩壊することの予想できない壁が崩れ、友人はその下敷になった。現代最高のクライマーが消えた瞬間だったし、その悲しみは数年経った今も引きずっている。」

○世界ランキング1位を守る秘訣は?
「1位を守るという精神的な理由付け、動機だ。強い動機があれば熱心にすることができる。しかし他の選手たちはますます追いかけてきている。動機を失えば、いつでも1位を奪われることになる。とてもたくさんのトレーニングを積んできたし、多くのクライミングの経験と心がけが今の私を支えている。」


○弱点は?
「常に自分自身に100%の実力発揮を期待している。その期待と自信が弱点となることもある。少しでも登攀に行き詰まれば、心理的なプレッシャーを感じる。」

○岩壁と氷壁どれがより良いのか?
「比べられない。どれも楽しんでいる。ただし、コンペのためにアイスクライミングにさらに多くの準備を重ねている。」

○ビッグウォールやヒマラヤのクライミングにも関心があるのか?
「今は26才だ。まだクライミングがおもしろい。いつかはやりたいが、今ではない。そのようなチャレンジをするためには、今よりさらに体力も精神面もトレーニングして、さらに強くならなければならない。」

○ヨーロッパで開かれた大会に比べて韓国大会がどうだったか?
「ワールドカップであって、ヨーロッパカップではない。アイスクライミングはさらにグローバル化されなければならないだろう。比べることに無理がある。登攀ルートは完璧だったし、すべての条件が良かった。アジアでさらに多くの選手たちが参加したら素晴らしいだろう。」

記事:シン・ジュンボム記者 写真:ヨム・ドンウ記者
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以上引用おわり

日本から出場の関係者の皆様、お疲れ様でした。
また今後のアジアでのW杯発展を祈っています。



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