少年は満たしたどこの世界では、場所を取る?
酒鬼薔薇聖斗の深層心理
1. 14歳の少年が起こした猟奇事件
さあゲームの始まりです。
愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ。
ボクは殺しが愉快でたまらない。
人の死が見たくて見たくてしょうがない。
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを。SHOOLL KILLER 学校殺死の酒鬼薔薇
挑発的なメッセージが書かれた紙片を、中学校正門前に晒した男児の生首の口にくわえさせ、世間を驚かせた殺人鬼、酒鬼薔薇聖斗は、「中年の変質者」という、逮捕前の世間のイメージとは程遠い、ごく普通の中学生であった。
『神戸事件を読む―酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか?』の著者、熊谷英彦氏のように、酒鬼薔薇聖斗の冤罪を主張する人もいるが、酒鬼薔薇聖斗本人がその可能性を否定している。酒鬼薔薇聖斗の母親が公表した手記には、次のように書かれている。
2002年5月23日(木)仙台に面会に行った時、長男の様子を見て、とっさに判断し、前から胸につかえていた事を聞きました。長男の顔をじっと見て「冤罪という事は、ありえへんの?お母さんは直接あんたの口からはっきり聞かんと、納得出来へんネ!」私は泣きながら聞きました。すると長男は、私の眼をじっと見て、涙を浮かべて、下を向きながら「ありえへん」と一言答えました。
[毎日新聞:2004年3月13日,東京朝刊]
以下、少年Aを酒鬼薔薇聖斗とみなして、少年の動機を分析しよう。
2. 酒鬼薔薇聖斗の家庭的背景
酒鬼薔薇聖斗は、1983年に中流家庭の長男として生まれ、弟たちよりも厳しいしつけを受けて育った。もっとも、厳しく育てたのは父親ではない。父親は仕事熱心で、2-3週間家を空けることもあった。休日出勤も珍しくなく、たまの休みにもゴルフに出かけることが多く、父子の関係は薄かったようだ。
父親の欠如を埋めたのは母親である。母親は世話好きで教育熱心であった。酒鬼薔薇聖斗が小学生だった頃から、地元の子供会の面倒をよくみて、皆が嫌がるPTA役員も積極的に引き受けた。酒鬼薔薇聖斗へのしつけも幼年期から厳しく、小学校以前は午後五時までに自宅に帰らせた。その時刻を過ぎると、家に入れないこともあった。
酒鬼薔薇聖斗にとって、母親が父の役割を果たしたとするならば、母の役割を果たしたのは、祖母である。祖母は、母親に叱られている酒鬼薔薇聖斗をかばってやった。酒鬼薔薇聖斗も祖母には甘えていた。祖母にねだって買ってもらった愛犬を「おばあちゃんの犬」と呼んでかわいがっていた。そして祖母の言うことには反抗せずに従った。
酒鬼薔薇聖斗が小学校5年生のとき、祖母が亡くなった。「おばあちゃんの犬」も、中学に入る頃に死んでいる。これによって、彼は、愛しかつ愛される関係にある他者を失った。両親や学校は彼にとって抑圧者でしかなかった。祖母の死は、酒鬼薔薇聖斗にとって重要な出来事であったに違いないが、検事が記者会見で発表した「祖母が死亡したのをきっかけに死とは何かについて強い関心を抱くようになった」という動機解明には賛成できない。酒鬼薔薇聖斗は、もっと早い段階で暴力に目覚めていたのである。
3. エロティシィズムの目覚め
私は、次の幼児体験に犯罪の原型があったと考えている。酒鬼薔薇聖斗は小学校に入る前、近くに住んでいた少し年上の小学生から奴隷のように扱われていた。幼い酒鬼薔薇聖斗は、このガキ大将の命令で、友達に頭から砂をかけたり、女の子の友達を道路の側溝に突き落としたりといったことをさせられていた。従わないと暴力を振るわれる。酒鬼薔薇聖斗が頭をはたかれ「すいません」と謝っているのを当時の友達が目撃している。
マゾヒズムとサディズムは、鏡像的反転関係にあって、どちらも、バタイユが言う意味でのエロティシィズムの快楽に根ざしている。酒鬼薔薇聖斗は、最初暴力に脅されながら暴力を振るった。しかし引越しでガキ大将と縁が切れた後も、弱いものいじめという苦痛に満ちた、しかし同時にサディスティックな欲望を満たす行為を、強迫神経症患者のように何度も繰り返すことになる。
最初彼の暴力は、カエルや鳩や猫といった小動物に向けられる。酒鬼薔薇聖斗は、後に、鑑定医の質問に対して、次のように答えている。
見習い水曜日は、2012年にどのようなチャンネルです初めて勃起したのは小学5年生で、カエルを解剖した時です。中学一年では人間を解剖し、はらわたを貪り食う自分を想像して、オナニーしました。
[一橋文哉:酒鬼薔薇は治っていない!]
土師淳君の事件が起きる2年前から、須磨ニュータウンでは、虐待された跡のある猫の死体があっちこっちで発見されている。そのすべてが、酒鬼薔薇聖斗によるものかどうかは分からないが、友人の話によると、酒鬼薔薇聖斗は、猫の舌を何枚か塩水に浸した小瓶をジーパンのポケットに入れて持ち歩いていて、「家の天井裏にあと十枚くらいあるから、欲しかったらあげるで」と言っていたとのことである。ある同級生が酒鬼薔薇聖斗の猫虐待の話を言いふらしたため、この同級生は酒鬼薔薇聖斗に殴られることになる。後に酒鬼薔薇聖斗は、「学校の先生に殴られて学校に行かなくなった」と言っているが、これは「同級生を殴ったので学校に行かなくなった」の置き換えのようである。
4. 酒鬼薔薇聖斗のバモイドオキ神信仰
97年2月10日、須磨区で二人の小学生の女の子が、酒鬼薔薇聖斗に棒で殴られ、一人は10日間入院した。女の子は、「男は友が丘中のブレザーを着ていた」と言ったので、被害者の父親は友が丘中学校に「在校生の写真を見せろ」と迫ったが、学校側は「プライバシーにかかわるので見せられない」と拒否。結局捜査は進まないまま、うやむやにされてしまった。97年3月16日、同じく須磨区で小学4年生の山下彩花さんが頭を殴られ死亡。同時に小学3年生の女の子が腹部を刺され2週間のけがを負う。
この時、酒鬼薔薇聖斗は、次のような日記をつけている。
H9.3.16 愛するバモイドオキ神様へ 今日人間の壊れやすさを確かめるための「聖なる実験」をしました。[?]公園で、一人で遊んでいた女の子に「手を洗う場所はありませんか」と話しかけ、「学校にならありますよ」と答えたので案内してもらうことになりました。ぼくは用意していた金槌かナイフかどちらで実験するか迷いました。最終的には金槌でやることを決め、ナイフはこの次に試そうと思ったのです。ぼくは「お礼を言いたいのでこっちを向いてください」と言いました。女の子がこちらを向いた瞬間金づちを振り下ろしました。[?]また女の子が歩いていました。女の子の後ろに自転車を止め、公園を抜けて先回りし、通りすがりに今度はナイフで刺しました。
「バモイドオキ」は一字づつ飛ばすと「バイオモドキ」と読める。この言葉は、「野菜」「実験」という言葉とつながっている。酒鬼薔薇聖斗は、神戸新聞社への犯行声明文のなかで、「一週間に三つの野菜を壊します」と言っているが、「野菜」は、無抵抗な弱者、失われた生命のメタファーである。
引用したメモの横には、ノートいっぱいに以下のような図(左)が描かれていた。
酒鬼薔薇聖斗は、小学校時代、赤色と白色だけの抽象的な絵を描き、図画の教師に「赤は血液で、白は体液」と説明した。だから、この絵に描かれている黒い粒は血液、白い粒は体液と理解するべきである。
上部に描かれている奇妙な人間は、首は切り離され、手と心臓と血管しかない。それ以外の肉は下に切り落とされているように描かれている。これは供犠[i]で屠られた生贄の姿のようである。イエスが処刑されて神の子となったように、原父が殺害されてはじめてトーテムとして子孫たちから畏怖されたように、生贄は、供犠で屠られてはじめて神聖な存在者となるわけである。だからこの人物は、生贄であると同時にバモイドオキ神でもあるわけである。
[i] 供犠(immolation)とは、生贄を捧げることで、未開社会に見られる富の蕩尽形態である。バタイユによれば、供犠には死の恐怖とともにエロティシズムの快楽があり、供犠の過程で、供犠執行者と供犠される者とは、両者の個体性を際限なく消尽し、至高性を体験する。この至高体験が、供犠が執行される祝祭空間を労働空間から区別する。
作られた小さな女の子は何ですか下半分を見てみると、右に昼の世界、左に夜の世界が描かれている。昼の世界が、現実原則によって支配されたアポロ的な秩序の世界であるのに対して、夜の世界は、すべての差異=秩序が消滅したディオニソス的な祝祭空間で、快楽原則と涅槃原則によって支配されている。私たちは普通この二つの世界を区別している。昼間仕事でいやなことがあっても、夜飲み屋でそのうさを晴らすというように。職場の上司がむかつくことを言ったからといって、その上司をその場ですぐに殴り倒すわけにはいかない。私たちは我慢し「分をわきまえる」。この分別を失うと、文明は、そして人格は成り立たなくなる。
図では、バモイドオキ神が昼の世界と夜の世界の区別を超越する位置にいる。また下半分には、境界線を侵犯する位置に黒丸が描かれている。この黒丸は、上半分に描かれている、円形図形と線対称になっていて、まるで鏡に映し出された影のように相関している。酒鬼薔薇聖斗は、殺戮によって境界線を侵犯できるかどうか実験をしてみたわけである。そして実験は「成功」した。
日記のなかで、酒鬼薔薇聖斗は、「人間の壊れやすさを確かめる」ことを実験の目的としている。これは生贄となる「汚い野菜ども」が壊れやすいかどうかということと、他ならぬ自分自身の人格が壊れやすいかどうかを確かめる実験でもあったと解釈できる。酒鬼薔薇聖斗は、殺人という超えてはいけない一線をついに超えてしまった。その瞬間、彼は至高のエロティシズムを体験したに違いない。
5. 淳君は「聖なる儀式」の生贄だった
山下彩花さんの死亡を受けて、須磨署は捜査本部を設置した。捜査本部はいいかげんな目撃証言を重視し、事件をシンナー中毒の少年による犯罪と判断し、エリアを拡大して捜査したため、酒鬼薔薇聖斗は容疑すらかけられなかった。「愚鈍な警察署君」が的外れな捜査をしている間に、酒鬼薔薇聖斗は次の供犠の儀式に向かって準備を始める。
H9.5.8 愛するバモイドオキ神様へ ぼくは今14歳です。そろそろ聖名をいただくための聖なる儀式「アングリ」を行う決意をしなければなりません。ぼくなりに「アングリ」について考えてみました。「アングリ」を遂行する第一段階として学校を休むことを決めました。いきなり休んでは怪しまれるので、自分なりに筋書を考えました。その筋書はこうです。
3月16日の「実験」開始からつけている日記はここで終わっている。16日後に土師淳君が行方不明になることを考えると、「アングリ」とは、淳君を屠る儀式のことのようである。もちろんスケープゴートの常として、淳君は、たまたま生贄に選ばれたのであって、酒鬼薔薇聖斗も後に「自分より弱い子をやった」「淳君でなくてもよかった」と供述している。また、なぜ淳君の頭部を切断したのかと聞かれて、「清めの儀式だ、やらなあかん」と答えている。「聖なる儀式」に付けられた名前、「アングリ」は「ハングリー」を連想させる。バモイドオキ神は、血に飢えているのではないだろうか。バモイドオキ神と酒鬼薔薇聖斗は一体だから、バモイドオキ神が飢えているということは、酒鬼薔薇聖斗もエロティシィズムに飢えている� �いうことでもある。
バタイユは、供犠の典型として、メキシコの人身御供に注目していた。メキシコ人は、彼らが崇拝する太陽神が血に飢えていて、血を捧げないと太陽が輝くことをやめると信じていた。メキシコ人が戦争や人身御供をするのは、もっぱら太陽神に糧を与えるためだったのである。祭儀の執行人たちは、戦争で獲得した捕虜を俎板の上に投げ倒し、手足と頭をしっかり押さえつけ、黒曜石の短刀を胸にぐさりと突き立て、ぴくぴくと動く心臓を抉り取り、それを太陽に捧げていた。神官は剥ぎ取った血だらけの皮膚を身につけ、生贄の肉は饗宴で振る舞われた。生贄を連れてきた戦士が切り取られた首を片手に踊って、饗宴は締めくくられる。
6. 酒鬼薔薇聖斗の深層心理を解読する
読者の中には、「バモイドオキ神」や「アングリ」は、ビデオか漫画に出てくる名称で、「バイオモドキ」とか「ハングリー」という意味を読みこむことは無意味ではないかと思う人もいるであろう。たしかに酒鬼薔薇聖斗の自室からは、たくさんのホラービデオや格闘技漫画が見つかっているので、出典はそのうちのどれかにあるのに違いない。しかし私が問題にしたいのは、多くの候補があるはずなのに、なぜこの名称が深層心理の働きによって選ばれたのかということである。
フリー古い漫画のエピソードをダウンロードする場所深層心理を読むということは、本人ですら意識していない動機を解明するということである。テレビ朝日の『サンデープロジェクト』で、島田伸介が「本当の動機は、本人以外は誰もわからないでしょうね」と言っていたが、実は本人もわかっていないのである。本人がわからないから、精神分析が必要なのである。
酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)という名前の漢字も、「榊原」という普通の漢字を使っていないのだから、明らかに選ばれた意味がある。「酒」は「酔う」、「鬼」は「殺人鬼」、「薔薇」は「赤色の血液」、「聖斗」は「聖なる闘い」の意味である。全体として、殺人鬼が聖なる闘いで流血に酔いしれるというイメージが浮かび上がってくる。また「SHOOLL KILLER」は、「SCHOOL KILLER」の間違いであるが、間違いにも意味がある。「SHOOLL」は、「シュール」と読める。そこには、シューレアリズム(超現実主義)の連想がある。
酒鬼薔薇聖斗には、現実を超えた想像力があった。彼は、淳君の首を絞め、頭部を切断しただけでなく、「魂を出してあげるために」、口の両端を耳付近まで切り裂き、両まぶたにバツ印の傷をつけるなど、入念な細工をした。そうした儀式の作法は、恣意的なものでなく、彼なりに意味のある必然的なものだったはずだ。逮捕後の供述で、酒鬼薔薇聖斗は、家族や学校の話を聞かれても「うーん」と反応が少ないのに、殺害の手口について聞くと、目を輝かせて能弁に儀式の方法についてしゃべったとのことである。
校門前に晒された頭部が発見されてから8日後、酒鬼薔薇聖斗は、神戸新聞に犯行声明文を送っている。その中で、彼は自分を「透明な存在」と称している。この言葉には二つの意味がある。
「透明な存在」とは、常識的には、警察にはつかまらない、目立たない存在ということである。この少年は実際に外から見ている限り目立たない普通の子供であった。学校の教師は「印象の薄い子」と言い、近所の人たちも「道で会えばあいさつする普通の子」と言っている。
「透明な存在」にはもう一つ隠れた意味がある。虚しい、満たされない、つまりハングリーな存在という意味である。英語の want には、欲望と欠如という二つの意味があるが、満たされない存在であるからこそ、メキシコの太陽神のように、絶えず生贄の血を求めるのである。「透明な存在」が「ハングリーな存在」であるとするならば、犯行声明文に登場する「世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人」が誰なのかが分かる。バモイドオキ神である。
酒鬼薔薇聖斗は、この「友人」に相談してみたところ、「友人」は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすればうるものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界をつくっていけると思いますよ」とアドバイスしている。こんなアドバイスを中学校の同級生がするとは考えられない。
引用文に続けて、酒鬼薔薇聖斗は、「その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した」と述べている。この箇所は、彼にとって復讐がどういう意味をもつかを示す重要な部分である。
犯行声明文には「義務教育と義務教育を生み出した社会への復讐」が書かれているが、記者会見した検事は、「捜査機関に少年以外の者が犯人であると思わせることにより、捜査を撹乱するために作成したと考えている」とのことである。しかしこの解釈は合理主義的すぎる。もし酒鬼薔薇聖斗が、逮捕される可能性を最小にしようとしている合理的な犯罪者であるならば、捜査機関に字体の手がかりを与えるような犯行声明文を書かないはずだし、ましてや中学生であることをほのめかすような「義務教育への復讐」について言及しないはずである。
ではなぜ、酒鬼薔薇聖斗は、「義務教育への復讐」という大義名分を掲げたのか。その答えは、犯行声明文の中に書かれている。「やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむこともできた」が、「世間の注目をあつめ」「せめてあなたたちの空想の中だけでも実在の人間として認めていただきたい」からである。
後に酒鬼薔薇聖斗は、淳君の首を切ったとき、「大した感動がなかった」と供述している[h]。そこで彼は、エロティシズムの感動を極大化するために、「君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えて」いこうとしたわけである。
[h] 当初、こう報道されたのだが、一橋文哉のレポートによると、酒鬼薔薇聖斗は、淳君の首を絞めながら勃起し、首を切断する瞬間、射精したとのことである。さらに、首を小学校正門に置いた時も、「性器に何の刺激も与えていなのに興奮し、何回もイってしまった」そうである[一橋文哉:酒鬼薔薇は治っていない!]。
栗本慎一郎の言葉を借りるならば、エロティシズムとはパンツを脱ぐ夜の快楽である。パンツを脱ぐためには、パンツという昼の秩序が必要である。そこで酒鬼薔薇聖斗は、学校やマスコミといった昼の世界を彼のゲームに参加させよとしたのである。この彼のもくろみは成功した。テレビでは、連日のように教育評論家たちが出演して、学校批判を繰り返した。彼らは、酒鬼薔薇聖斗のしかけたゲームにまんまとのせられたのである。
7. 酒鬼薔薇聖斗事件は現代特有の現象ではない
犯人が中学生であることが判明すると、マスコミは、学校や家庭や地域社会に問題があるのではないかと疑った。
しかし学校には、酒鬼薔薇聖斗が妄想したような、「教師に鼻血が出るほど殴られる」という事実はなかった。友が丘中学校の校長が、卒業式終了後、不謹慎なところにふらふらと出かけて行って、ゴシップ誌を喜ばせ、世間の顰蹙を買ったが、事件発生当時、学校側に重大な落ち度があったわけではない。
また、母親は、しつけは厳しかったが、所謂「お受験ママ」ではなかった。神戸市には、灘をはじめとする名門私立学校があり、中学受験の競争も激しいところであるが、酒鬼薔薇聖斗は、多くの同級生とは異なって、進学塾に行かず、また二人の弟が通った書道教室にも行かなかった。勉強にはうるさくなかったようだ。
地域社会にも問題はなかった。事件の舞台となった須磨ニュータウンは、兵庫県労働者住宅生協によって開発・分譲された。入居者の多くが労組関係者で、自治会は市内で最も組織力があるとされる。淳君が殺害されたときも、パトロールが自治会活動として行われるなど、コミュニティの連帯は健全であった。
だから、この事件を説明するのに、「学校での管理教育による抑圧」とか「受験競争による心の歪み」とか「地域社会の崩壊」といった、現代文明を批判する評論家好みの決まり文句は使えない。私は、犯行の原因は、幼児期に味わった、弱いものいじめによるエロティシィズムの反復強迫だと思う。この事件は、人類史的にはきわめてプリミティブな欲動から生まれたものであり、現代特有の現象ではない。
8. 事件後の酒鬼薔薇聖斗
酒鬼薔薇聖斗は、逮捕後、身柄を神戸少年鑑別所に移送され、1997年10月20日には関東医療少年院に送致された。2001年11月から2002年11月にかけて、中等少年院である東北少年院で矯正教育を受けた後、関東医療少年院に戻り、2004年3月10日、21歳で仮退院した。
関東地方更生保護委員会の小畑哲夫委員長らは、「再犯の可能性はないと判断した。保護観察に付することが改善更生と円滑な社会復帰のために相当と認めた」と説明している[毎日新聞:2004年3月11日,東京朝刊]。法務省は、「人格が固まった成人が性的サディズムと診断をされると良くなるのは難しいが、男性は思春期にあったため、いい方向に変化した」と言っている[毎日新聞:2004年3月11日,東京朝刊]。
ところが、報道によると、2004年12月、酒鬼薔薇聖斗は、カウンセリングの最中に、女医を押し倒して暴行を働こうとする事件を起こしてしまった[週刊新潮:2005年1月20日号]。この女医は、母親のような役割で酒鬼薔薇聖斗を治療していたのであるが、若くて美人であったために、酒鬼薔薇聖斗は、この女医に恋をしてしまったらしい。
成人した酒鬼薔薇聖斗は、いよいよ本物のエロティシィズムに目覚めたのかもしれない。暴行未遂事件を起こすようでは、性的サディズムが完治したとは言えない。にもかかわらず、酒鬼薔薇聖斗は、2005年1月1日に、関東医療少年院を正式に退院した。このような危険な人物を社会に復帰させて、本当にだいじょうぶなのか。
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