The Friends' School - Japanese
ジャコバ・アカザワ
この文章は、二部に分かれています。第一部ではホバートのフレンズスクール に通う子供を持つ父兄としての私の経験をご紹介しています。そして第二部では、京都府と滋賀県からフレンズスクールに留学している6人の留学生と父兄のコメントを合わせて分析検討してみました。
来年は、この学校で勉強してもいい?
この一言で一人の子の人生がどんなに変わったことでしょう
「来年は、この学校で勉強してもいい?」
「ええ、それはとても良い考えね」
2003年の2月、当時14歳だった息子の言うことをはじめは真剣に受け取っていませんでした。フレンズスクールの寄宿舎をほんの10分見学しただけでこの子がそこまで確信しているとは思えなかったからです。
私 たちは親類に会いにタスマニアを訪れたのを機会に、滋賀県からホバートの学校に留学している2人の友達が新しい学校に馴染んだかどうか心配で会いにきてい たところでした。息子はフレンズスクールにとても感銘を受け、それから2週間後に「ホバートに留学したいということをお父さんに話したらなんて言うだろう か」と心配しているのを知った時、この子が本気だということがわかったのです。息子は、フレンズの寄宿舎ウォーカー・ハウスに宿泊しています。現在16歳 で、10年生の過程を修了して11年生になったところで、最近は進路のことをよく考えており、チャレンジ精神に満ちた刺激のある多忙な学生生活を送ってい ます。
私はタスマニアの出身で、海岸地方の公立校で教育を受けましたが、フレンズスクールのことは何も知りませんでした。フ レンズスクールのウェブサイトでクエーカー教の伝統に基づいた教育方針を読んで、非常に好感を抱きました。また、何も調べないうちに息子に留学を許可して しまった手前、これでほっとしました。フレンズスクールの教育方針の中で特に私が印象を受けたのは、生徒の知的能力だけでなく精神面での育成を行っている という点でした。
ホリスティック教育を信じ、日本で子供たちにホームスクーリングを選択していた私にとって、この学校は多様 なバックグラウンドを持つ生徒の自然な踏み石となると思いました。もっとも、自分の子供が私立校に通って制服を着用するようになるとは想像していませんで したが。また、私立校の学費がどの程度かかるのかもわかっていませんでした。この点については後で詳しくお話します。
"あなたは知っている人dunnit "のテレビ番組学校に到着してフ レンズスクールは非常にオープンですべての生徒を受け入れてくれます。面接時にはポートフォリオや学習の記録などは一切用意して行かなかったにも関わら ず、息子には10年生の席がきちんと用意されていました。フレンズスクール側でわかっていたのは息子がホームスクーリングを受けていたことだけでした。も しもその時、面接の担当者に息子がこれまでホームスクーリングで何を勉強したか聞かれていたら、私はきちんと答えることができなかったことでしょう。しか し、幸いにもそのような質問はありませんでした。
これまで7年間、息子のホームスクーリングは夫が日本語で行ってきました。 仕事が休みの時には私も英語の指導をしました。ホームスクーリングのカリキュラムは、私が見たところ、息子の興味のある内容で構成され、非常に行き届いた ものでした。仕事が終わって帰宅すると、たくさんの書物や新聞、それに何か食べたお皿や息子が自分で読んだり読んでもらったりした面白い物語の本などが部 屋中に広げられていたものです。
しかし、息子が14歳の時に翌年からフレンズスクールに留学することを決めてからいろいろと 変わりました。5年間分の数学はどうにか詰め込むことができたようでしたが、漢字の授業は他に受けなければならない科目の授業とぶつかってしまいました。 英語の講師にも毎週1時間来てもらうことになりました。
息子はESL(第2言語としての英語)を含む必修科目について説明を 受け、次に選択教科を決めるためにいろいろと質問を受けました。20分後には何を選択するかが決まったので、1年分の登録手続きを済ませました。そして、 ブックルームで教科書類の注文をするようにと言われ、これからの1年間、学校生活を満喫するようにと励まされました。
息子の 友達の一人で京都からきた生徒も、息子と同時に面接を受けていました。彼はあらかじめ日本からポートフォリオを送ってあったので、面接の時にはそれが手元 にありました。学校側でその包括的で優れた内容のポートフォリオを十分に検討したところ、ご両親の許可を得るという条件で、1年上の級である11学年への 入学が許可されたことを担当者から知らされました。そしてご両親の了解の下でこの生徒は11学年に入学したのです。
次の日、 教科書を取りに行った際に名古屋から来た日本人の女の子とそのお母さんに会いました。女の子は英語が全くしゃべれない様子で、またお母さんの方もほんとう に少ししか英語がわからないようでした。オーストラリアなまりのせいでしょうか?これで、学校生活を送っていけるのでしょうか?私は心配になりました。し かし、そんな私の心配はよそに、彼女はしっかりとこの一年の学校生活をやり遂げ、来年もフレンズスクールで次の学年に進級することになりました。
漂白剤をダウンロードする場所この年のハイライト息子はよくしゃべるタイプではなく、また私とは恐らく捉え方が全く違いますが、息子が私たちの許可やお小遣いが必要という主な理由で京都の私たちに伝えてきた話をもとに、フレンズスクール10年生のハイライトをまとめました。
息 子は今学年の初めにラグビー・チームに入りました。フレンズスクールの生徒は全員が何かしらスポーツのチームに入るように勧められます。毎年出版される記 念アルバムを見ると、非常に数多くのスポーツチームがあることがわかります。(スポーツチームのページだけで16ページもありました!)その種目は、バス ケットボールやフットボール、テニスといった一般的なスポーツから、女子クリケットやヨット、サーフィン、乗馬、ボート、オリエンテーリング、水中ホッ ケーといった珍しいものまで様々です。息子がラグビーを選んだ理由は、寄宿舎に住んでいるので、そこから練習や土曜の試合に通いやすいことだったそうで す。また、寄宿生の大半がラグビーをしていたことも、理由の一つだったと思います。
10年生は全員、学校のプログラムの一環 として2週間の勤労体験学習を行いました。息子は寿司レストランで働くことになり、プログラム終了後も金曜日の夜と土曜日の昼間にアルバイトをするように なりました。ただでお寿司を食べることができて、お小遣いを稼げる上に、キッチンのスタッフと日本語で話ができるので、とても喜んでいましたが、せっかく のラグビーができなくなってしまったので、その点100%ハッピーというわけではありませんでした。一日中キッチンで立ちっぱなしだとくたくたになるの で、年を取ってからはちょっときつすぎるだろうとこぼしていたので、将来自分のレストランを開きたいという夢はどうやら現実にはならないようです。しか し、このような体験は息子にとって本当にいい勉強になったと思います。
何が意志と恵みの最終回に起こったラグビーを辞めてしまったにも関わらず、エジンバラ公 爵賞の方は続けていました。この賞がどういったものだか私にははっきりわかっていなかったのですが、それが理由で息子は野外キャンプやハイキング、ロッ ク・クライミングなどに参加しました。タスマニアの大自然はまさに広大で、氷河期にできた岩塊斜面や高山地帯、レインフォレスト、そして驚くべき種類の動 植物が生息しています。タスマニアには、タスマニアン・デビルやワラビー、ウォンバット、カモノハシ、ハリモグラといった有袋類の動物たちが生息してお り、これらの動物はハイキングでよく見かけます。また無数の鳥のさえずりも至る所で聞くことができるのです。私自身はこの大自然がどれほどダイナミックで すばらしいかを知っていましたが、息子がそれを体験する機会ができて本当にうれしく思っています。また、週末やイースターの休暇などには、エジンバラ公爵 賞に参加している生徒のみならずフレンズの生徒ならば誰でも参加できるキャンプやカヌー旅行が主催されていました。
ハイスクールの生徒は、各自iBookのパソコンを持ち、全ての教科で使用しています。コンピュータのことをよく知らなかった息子がこの一年で簡単に使いこなせるようになったのを見て、本当に驚きました。
ESL の授業は息子曰く彼にとっては時間の無駄ということでした。内容が英語の全くしゃべれない初心者向けだったからだそうです。息子は英語で話すのは楽にでき ますが、読み書きの方ではもっと努力が必要でした。ESLの時間は、自分の勉強の時間に当て、他の教科の指導を受けることもできたそうです。息子が慕って いたのは日本語教師のジョン・カーティス先生でした。カーティス先生は日本語だけでなく、英語の方も教えてくれて、日本語から英語への翻訳などを指導して くれたそうです。
システムについての感想毎 日のスケジュールに組み込まれていることの一つに、パストラル・ケア・システム(心のケアシステム)があり、私も良いアイディアだと思っています。毎朝、 7年生から10年生までの生徒で構成された小グループが集まり、先生が一人ついて生徒たちを支援し、励ましているのです。このグループでは毎年10年生が 卒業して抜けると同時に新しい7年生が入る以外は同じメンバーが続きますので、グループ内の生徒たちは、大きなコミュニティの中の家族のように親しくなり ます。
私にとって一番の大きなショックは私立校の授業料でした。私は公立校を出ているので、自分の子供たちの教育にもあまり お金はかけない方針でした。皆さんどうやって私立校の学費を払っているのでしょうか。とくに共稼ぎでない場合はどうしているのでしょうか。そこでわかった のが、日本国内のインターナショナル・スクールに通わせるのと同じぐらいの学費がかかるということでした。
友人が神戸のカナ ディアン・アカデミーとフレンズスクールを比較して計算してくれたところによると、神戸までの通学の交通費、おこづかい、授業料を合わせると、ホバートの フレンズスクールに留学させるのと同じぐらいお金がかかるということでした。これには年2回の日本−ホバート間の往復航空運賃、お小遣い、宿泊費用、授業 料を含みます。それにしても、この金額は決して安いものではありませんので、これまで何年間もお子さんをインターナショナル・スクールに送ってこられたご 父兄の方々には改めて感心させられました。
私が心配なのは、フレンズスクールが生徒たちの成績を向上させるためのご褒美があ まりにも手の届かないところにあるのではないかということです。フレンズスクールでは生徒たちに大きな期待をかけており、またタスマニア州で最も優秀な学 業成績を修めていることに非常に誇りを持っています。わたしはホリスティック教育を信じているので、最終的な評価はさほど重要視していません。学んだこと がすぐに結果に現れるとは思えないからです。
我々が学ぶことの大半は間接的であり、それらが形を変えてゆくにはかなり時間が かかるものなのです。人生で最も重要なことはテストでは計れないと思います。学校は学ぶことの喜びと生きることの喜びを奨励するべきなのです。フレンズス クールはこの条件を満たした、ありきたりではない学校だと思います。同じ家系が6世代以上にも渡って子供を通わせ、毎年入学者数が増えているのは、新しい 人も昔からなじみの人も引きつける特別な何かがあるせいではないでしょうか。
結論「来年、この学校で勉強してもいい?」
「え え、それはとても良い考えね」息子の言うことをはじめは真剣に受け取らずに簡単に答えてしまいました。わずかな時間の見学でフレンズスクール留学を決めた 息子の選択は、息子の教育において完ぺきな踏み石となりました。これによって私たち夫婦の生活も変化しました。突然の学費を捻出するためにがんばらなくて はならなかったからです。しかし、本当に努力しただけの価値がありました。
息子がフレンズスクールで幸せで多忙な毎日を送り、学業を初めとする全てに対して最大の努力を行っていることを私は十分にわかっています。十代のお子さんの次の教育ステップをどうしようかとお悩みの父兄の皆さんに、フレンズスクールを是非推薦いたします。
フ レンズスクールは英語圏以外の生徒、あるいは障害児を受け入れます。全ての生徒が自分に適した場所を見つけることができ、大家族の一員になれるのです。お 子さんは学業をはじめスポーツ、音楽、リーダーシップなどのあらゆる面で力をのばしていくことでしょう。それはご両親には思いもよらなかった意外な面かも しれません。
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