Amazon.co.jp: 「冒険ダン吉」になった男 森小弁 (産経新聞社の本): 将口泰浩: 本
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5つ星のうち 5.0 明治生まれのいい男に出会った,
レビュー対象商品: 「冒険ダン吉」になった男 森小弁 (産経新聞社の本) (単行本)
国を作ろう、国を動かそうと情熱をもって生きていた幕末から明治・大正時代の男はかっこいい。
自由民権運動に参加したものの、その枠からはずれ南進論に傾倒した森小弁は
歴史を動かしてきた日本の獅子たちのごとく華々しく名前が取り上げられたことはなかったが
わずか70年前の戦争では日本兵を飢餓から救い
ひいては現在の日本とミクロネシアとの桟を築いた男に、ようやくスポットライトがあてられた。
明治から昭和前期を生きた、日本の気骨のあるいい男にめぐりあえる
そんな歴史小説。
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5つ星のうち 5.0 男気を感じた、これぞ日本男児。,
レビュー対象商品: 「冒険ダン吉」になった男 森小弁 (産経新聞社の本) (単行本)
宣伝は何ですか土佐に生まれ若い時に自由民権運動に傾倒、大阪事件で投獄された後は、後藤象二郎の書生となるものの、当時の日本の在り方に失望し南洋へ飛び出す。
単身、トラック島へ上陸し現地の人々と苦労を重ねながらも、打ち解けていきやがて結婚、大酋長として太平洋戦争下のトラックを見事に取り仕切る…
森小弁の一生をざっと説明すると、こんな感じになりますが、彼の男気を感じたところは、"ブレていなかった"ところではないでしょうか。「覇道では無く王道の政治家」を目指し、現地の風習を受け入れつつも日本の文化を植えつけた…。その過程で諍(いさか)いや衝突があったものの、誠心誠意に向き合い信念を曲げることなく接した結果、ミクロネシアに膨大なまでの日本文化が根付いたのではないのでしょうか� �
彼の最大の試練は、太平洋戦争の時ではないかと思います。アメリカとの戦いにおいて、南洋の最前線になり、"覇道の最前線"と化したトラックを王道の政治手腕で取り仕切る。戦争に絶望しながらも、あくまで自分の信念を貫こうとする姿…。
長くなりましたが、彼こそが真の日本男児なのでは?…と思えてしまう作品です。
是非、御一読を。
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oの先駆者はどのように多くのページです
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5つ星のうち 5.0 赤道直下マーシャル群島、南洋雄飛の夢果つる…。,
レビュー対象商品: 「冒険ダン吉」になった男 森小弁 (産経新聞社の本) (単行本)
マンガ「冒険ダン吉」では、ダン吉は漂流して南海の小島に流れ着き、勇気と知恵で難題を解決、島民に推されて酋長になる。
ネズミの「カリ公」を相談相手にダン吉に内面を語らせ、ストーリーを
進めてゆく面白いマンガであったが、差別問題で引っ掛かり、今は読めない。
長々書いてしまったが、そのダン吉のモデルと言われたのが本書で描
かれた森小瓣だ。
明治24年にトラック島に渡り、椰子や鰹節の生産、貿易にたずさわった。
大酋長の娘と結婚して自ら大酋長を継ぎ、南洋雄飛を夢見、実行した人物
として夙に有名な人であった。
トラック島の人びとを導き、学校を作り、島民と日本人との分け隔てなく接した。
この辺はマンガのストーリーともかぶる。
孟子の教えを体現し、決して差別や蔑むことなく、戦争中も軍と島民の間に立ち、
大酋長としてトラブルを未然に防いだ。
明治から大正、昭和と半世紀以上にわたりトラックに居住し、トラックを愛し
日本を愛した人であった。
平成20年、ミクロネシア大統領エマニュエルモリが来日した。
森小瓣の曾孫で一族はトラックだけで千人以上、全体では1万5千人の日系人が
いるという。
トラックの言葉には多くの日本語が取り込まれてもいる親日的国家であり、
小瓣が如何に慕われていたかが分かる。
亡くな� ��て63年、小瓣の出身地・高知を訪れた大統領は、曾祖父の祖国に
どんな思いを抱いたであろうか。
そんな思いを巡らせていると、やはり夢は南洋に…。
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